私は光明に向かい 少なからず歩んだ
壕舎で 塹壕で タイガで暮らした
生きたまま 二度埋められ
つらい別れも知った
でも モスクワはつねに 私の誇り
どこにあっても 繰り返した言葉は
愛する わが首都
輝ける街 わがモスクワ!


モスクワ郊外の林が好きだ
小川のせせらぎにかかる橋も
赤の広場が好きだ
クレムリンの時計台の鐘も
市内にあっても 遠く離れた街でも
おまえの噂は 途絶えることがない
愛する わが首都
輝ける街 わがモスクワ!


あの厳しい秋を思い出す
戦車の履帯のきしみ 銃剣のきらめき
まぶたに浮かぶのは 28人の英雄や
お前を守り抜いた息子たち
敵はこんりんざい
お前の頭を 打ちのめせない
愛する わが首都
輝ける街 わがモスクワ!


愛する わが首都
輝ける街 わがモスクワ!
(1)
Я по свету немало хаживал,
Жил в землянке, в окопах, в тайге,  
Похоронен был дважды заживо,  
Знал разлуку, любил в тоске.  
★Но Москвою привык я гордиться  
  И везде повторял я слова:  
  Дорогая моя столица,  
  Золотая моя Москва!  

(2)
Я люблю подмосковные рощи
И мосты над твоею рекой,
Я люблю твою Красную площадь  
И кремлёвских курантов бой.  
   В городах и далёких станицах  
   О тебе не умолкнет молва,  
   Дорогая моя столица,  
   Золотая моя Москва!       

(3)
Мы запомним суровую осень,
Скрежет танков и отблеск штыков,
И в веках будут жить двадцать восемь
Самых храбрых твоих сынов.
   И врагу никогда не добиться,
   Чтоб склонилась твоя голова,
   Дорогая моя столица,
   Золотая моя Москва!
     (★くりかえし)
   Дорогая моя столица,  
   Золотая моя Москва!  
Моя Москва(私のモスクワ)
1948年の「モスクワについての歌」コンクールで優勝した曲。作曲はイサーク・オシポヴィッチ・ドゥナエフスキー(1900−1955)で、歌詞は1941年11月、モスクワ攻防戦の最中に詩人マルク・サモイロヴィッチ・リシャンスキー(1913−1993)が発表したものを基にしています。リシャンスキーの詩を目に留めたドゥナエフスキーが曲をつけ、同年12月に一応の完成を見ました。
1942年春のラジオ放送で演奏が流されるようになり、戦時中はモスクワ防衛の偉業を広く伝える役割を担いました。その後、手が加えられ、戦後のコンクールで優勝するに至ったのです。
 歌のテーマは、独ソ戦中のモスクワ攻防戦。1941年10月〜12月、首都モスクワからほんのわずかな距離まで迫ったドイツ軍に対し、市民と軍が一体となってその進撃を食い止め苦しくも辛勝した戦いでした。
 歌詞の一番では、塹壕で生き埋めとされるような厳しい戦いや友との死別、三番ではドイツ軍が市の中心から30km以内に迫った中、赤の広場で敢行された11月7日の「10月社会主義革命24周年記念軍事パレード」や、市の郊外で全滅することと引き換えでドイツ戦車部隊の進撃を阻止したパンフィーロフ第316狙撃師団所属の28人のカザフ人兵士たちに触れています。二番は、美しいモスクワ郊外の光景や慣れ親しんだ赤の広場やクレムリン時計台の鐘が唄われています。
 以上のように、モスクワ市民や全ソ連国民、兵士が命に代えても守ろうとした首都モスクワへの愛を唄いこんだ曲で、ロシア国民によって愛唱されています。かつて、スターリン時代には、スターリンを賞賛する四番がありましたが、この部分は1960年代以降から唄われていません。
 1995年7月5日、モスクワ市歌として制定されました。埋め込み映像は、オペラ歌手ドミトリー・フヴォロストフスキーによるモスクワ・コンサートでのものです。

「私のモスクワ」(Моя Москва)

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