ロシアンソング・リエナクティヴ集団

パリャーノチカ(ПОЛЯНОЧКА)

 

老人ホームでの演奏後他の参加者のみなさまと撮影
  パリャーノチカって?
 
♪♪ナ・ソーネチナイ・パーリャノチケ、ドゥゴーユ・ビーヌフ・ブロフ‥(陽のあたる野原で、ニコニコと若者が‥)♪♪
 
 これは、ロシアの戦時歌謡「陽のあたる野原で」На Солнечной Поляночке)の歌詞の最初の部分です。パリャーノチカ(Поляночка)とは、森の中の木漏れ日が当たる小さな野原のこと。
 
 ロシアの歌は、広大な草原(ポーレ=Поле)の香りを持っていますが、ロシアの歌を愛する小さな日本のグループはせめて小さな原っぱくらいの香りを伝えたいと思い、グループの名がパリャーノチカとされました。
 
 パリャーノチカは、2008年夏から、日本でも広く愛されるロシアの歌を元の曲のよさを生かして歌唱しようと活動をはじめました。パリャーノチカの演奏コンセプトは、次のような特徴をもっています。


    リエナクトプレイ(歴史再現演奏)でオリジナルの味わいを伝える
 
ロシア(旧ソ連)から日本へ伝わった歌の多くは、第二次世界大戦中に民衆や兵士たちに愛され唄われた「愛国歌曲」です。1941622日にドイツを中心にしたヨーロッパ枢軸国の奇襲攻撃を受けてから、本格的に世界大戦に参戦することになった旧ソ連は、戦争を「祖国防衛と反ファシズムのための大祖国戦争」と位置づけ、国民と将兵の愛国心を高めるため音楽家をはじめとする文化人の力を総動員しました。
 
 この過程で興味深いのは、戦前期のソ連史で「暗黒の時代」とされてきたスターリン政権による大弾圧政策(数百万人の逮捕・投獄・処刑をともなう「血の粛清」)でピークに達していた文化面の締め付け政策がドイツとの開戦によって緩められ、芸術家たちに自由な創作の可能性が開かれたということです。このため、愛国心で結ばれた民衆や兵士の中に入っていった音楽家、詩人たちは数々の名曲を生み出し、また戦前期以前からの曲にも新たな息吹がふきこまれることになったのです。
 
 こうした名曲は、終戦以降にシベリアへ大量に連行された元日本軍将兵の方々によって日本へ持ち帰られることになりました。以後、日本の平和運動と結びついた「うたごえ運動」でロシアの歌は翻訳されて普及され、学校の音楽教科書でもとりあげられるまでに至ったのです。
 
 ロシアの歌は、その哀調を帯びた流麗なメロディが日本人の心をとらえ、今日も多くのファンを持ちますが、以上の経過の中でロシア語そのものが持つ韻をふんだ歌唱の美しさや生まれた時代の心情を伝えるような演奏が日本ではほとんど行なわれてきませんでした。そこで、私たちは欧米でトレンドになっているリエナクトプレイ方式によるロシア語歌唱をとりあげることにしたのです。
 
 リエナクトとは、歴史再現のこと。当時の衣装を身につけ、演奏スタイルもその曲が生まれ、愛された時代の雰囲気を伝えるものにしていくのが、パリャーノチカのコンセプトです。
 
 「大祖国戦争」で旧ソ連は、2600万人もの死者を出しました。従軍しての戦死者は、1100万人に上ります。兵役に就く男性人口が枯渇していき、年少者や年長者が根こそぎ動員された他、女性将兵も前線の衛生兵や軍医はもちろん、運転手、パイロット、狙撃兵、高射砲兵、さらには戦車兵など戦闘任務にまで投入され、その数は100万人以上にもなりました。女性からも多数の戦死者が出ています。
 
 ロシアの愛国歌(戦争に関係した歌曲をそう呼んでいます。代表的なものに「カチューシャ」「ともしび」などがあります)は、苦しい戦争に従事した多数の男女将兵、民衆に愛唱され普及したのです。パリャーノチカは、そうした人々の心情を伝え、戦争の悲劇についての理解も広げたいと願っています。
 
    知られざる名曲をロシアンテイストで楽しみ、広げる
 
歴史的に歌が大衆芸能でトップの地位を占めるロシアでは、まだ日本に伝わっていないものを含め多数の名曲が存在し、今日も生まれています。パリャーノチカは、心うつ歌を取り上げ、唄い広げていきたいと願っています。
 
 日本で既に歌唱されているものでも、ロシアンテイストにより近づけ、原曲の持つ良さから味わっていただきたいとパリャーノチカは考えます。
 
 以上のコンセプトに立ち、パリャーノチカは可能な限りクオリティを高めた演奏活動で、ライブ、コンサートでのロシア歌曲紹介を行なう他、「ロシア語で唄ってみたい」と思う人と共にロシア曲を練習し唄う活動を継続しています。
 

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