林檎や梨の花が咲き出し
川面には霞が立ちひろがる
カチューシャは岸辺に登っていく
高く切り立った川岸の上へ


唄いながら登っていく
歌は鷹となり、ステップを飛ぶ
愛する人のもとへ
便りとなって飛んでいけ


ああ、歌よ、乙女の歌よ
明るい太陽を追って飛んでいけ
遠き国境に立つ兵士へ
カチューシャの想いを届けよ


兵士よ、乙女の想いを忘るな
彼女の歌声を胸にとどめよ
祖国の土地を守り続けよ
祖国の土地を守り続けよ
(1)
 Расцветали яблони и груши,   
Поплыли туманы над рекой.
Выходила на берег Катюша,
Hа высокий берег, на крутой.

 (2)
 Выходила, песню заводила
Про степного сизого орла,    
Про того, которого любила,
Про того, чьи письма берегла.

(3)
Ой ты, песня, песенка девичья,
Ты лети за ясным солнцем вслед
И бойцу на дальнем пограничье
От Катюши передай привет.

 (4)
Пусть он вспомнит девушку простую,
Пусть услышит, как она поет.
Пусть он землю бережет родную,
А любовь Катюша сбережет.

※ (1)くりかえし

Катюша(カチューシャ)
“ロシア民謡”の代表として、日本でもあまりに有名なこの曲は、1938年11月にリリースされたマトヴェイ・イサーコヴィッチ・ブランテル(1903~1990)作曲のソヴィエト歌曲です。当時、ソ連が力を入れて共和国政府側を支援したスペイン内乱(1937~1939)もナチス・ドイツやイタリアが後押ししたフランコ反乱軍側優勢が決定的となりました。併せて東欧でもドイツからのチェコスロヴァキアに対するズデーデン地方領土割譲要求が英仏の参加したミュンヘン会談で認められるなど、共産主義ソ連に対する宿敵=ナチス・ファシズム勢力の伸張が顕著でした。
 こうしてソ連西部国境が次第に緊張状態に置かれ、国民の中に「ドイツとの戦争近し」の思いが強まってきた折りに、西部国境警備の任にあたる恋人のことを思うカチューシャの歌は広く人々の心をとらえたのでした。また、ロシア民謡歌手の名手として著名だったリディア・ルスラーノヴァ(1900~1973)は、「カチューシャ」に出会って「これこそロシアの歌だ!」と感銘し、自分の代表ナンバーとして演奏を開始しました。これらがあいまって、独ソ戦前からソ連国民の間でたいへんに流行したのです。
 1941年に独ソ戦(大祖国戦争)が始まると、ルスラーノヴァは前線に出かけて演奏の中で必ず取り上げ、兵士たちに愛されました。その結果、当時のソ連軍新兵器だった多連装ロケット砲に「カチューシャ」の名が冠され、これについての替え歌も作られたほどです。また、連合国やヨーロッパ各地のレジスタンス運動の中にも広がり、イタリア・パルチザンでは「風がなる」という題名の替え歌が唄われました。以上の事情は、日本ではほとんど紹介されたことがありません。
 埋め込み映像は、人気オペラ歌手ドミトリー・フヴォロトフスキーによる演奏。

「カチューシャ」(Катюша)

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