僕らの長い行軍や
敵との激しい戦いは
永く唄い継がれるだろう
この日々をいつか語らうのさ

砲火や焼け跡、戦友たち‥
いつかどこかで語らうのさ
僕は忘れない 歩兵暮らしを
懐かしい中隊を そして君を
さあ戦友 一服しよう
戦友 一本ずつ分け合って



解放したオデッサで歓迎され
黒海の星空を 取り戻した
栄えあるカホーフカ、ニコラエフを
解放した日々を思い出すだろう




ファシストどもを追い払ったら
愛する家族の許に戻り
ウクライナを西進した日々を
僕らはきっと思い出すさ
(1)
О походах наших, о боях с врагами, 
Долго будут люди песни распевать.      
И в кругу, с друзьями, часто вечерами,     
Эти дни когда-нибудь мы будем вспоминать.

★ Об огнях-пожарищах, о друзьях-товарищах,
    Где-нибудь, когда-нибудь мы будем говорить.
    Вспомню я пехоту, и родную роту,
    И тебя за то, что ты дал мне закурить.
    Давай закурим, товарищ, по одной,
    Давай закурим, товарищ мой!


(2)
Нас опять Одесса встретит как хозяев,
Звезды Черноморья будут нам сиять.
Славную Каховку, город Николаев,
Эти дни когда-нибудь мы будем вспоминать.
                      (★くりかえし)


(3)
А когда не будет фашистов и в помине
И к своим любимым мы придем опять,
Вспомним, как на Запад шли по Украине,
Эти дни когда-нибудь мы будем вспоминать.
                      (★くりかえし)
Давай закурим(一服しようぜ)
ウクライナ人女性歌手クラウディヤ・シュリジェンコによる戦時歌謡ヒット曲のひとつ。1942年1月に最初に発表されたもので、モスクワ前面でのドイツ軍の敗北及び南部ロシア・ウクライナ地区での後退という情勢をふまえ、ソ連軍の反撃が順調に続くことを前提に歌詞が作られました。その時の歌詞については、「ソヴィエト・ロシア軍歌集積所」の該当ページを参照してください。
http://voenpesni.web.fc2.com/songs/Davaj_zakurim.html)
独ソ戦はしかし、1942年春以降複雑な経過をたどり、前年を再現するようなソ連軍の敗北と後退が続きました。歌でいわれているようなウクライナの都市を次々に奪回するようなことは、この年には起きなかったのです。
しかし、1942年秋以降、ヴォルガ河畔のスターリングラード市でドイツ軍の前進は止まり、冬までに同地区の枢軸軍約30万人がソ連軍の大規模な反撃作戦で包囲下に陥って形勢が逆転しました。1943年2月までに包囲された枢軸軍は降伏し、ソ連はようやく戦線でのイニシアチヴを握ることができたのです。
この時、シュリジェンコは西への反撃に向かうソ連兵士の気分感情を踏まえた歌詞改定を行い、この歌をリバイバルさせたのです。戦後も長く愛唱されるこの曲は、シャンソンの香りも漂うロマンチックなメロディーが特徴です。
埋め込み映像は、1960年代頃のソ連テレビ番組でシュリジェンコが唄っているものです。戦時中、刻み煙草の形でソ連兵士に支給されたマホールカ煙草を巾着袋から出して、間に合わせの紙(廃墟からひろってきた本をちぎったものか、軍内新聞を破いたもの)に乗せて巻く仕草が、兵士の風俗を伝えて興味深いものです。戦時中、前線に赴いて500回以上の慰問コンサートを開いて戦場での兵士たちと交流した経験を持つシュリジェンコならではのパフォーマンスです。

「一服しようぜ」(Давай закурим)

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