「波止場の夕べ」(Вечер на рейде)


唄おう 友よ
明日は 出撃だ
夜明けの霧の中で 船出する
陽気に唄おう
いっしょに 唄い続けよう
戦いに鍛えられた 白髪の艦長よ

さらば 愛する街よ
明日は 海の彼方へ
明け方の 波止場を
艦尾から 見やれば
青いプラトークが 見えるだろう



こんなに 素晴らしい夜
歌を唄わずに いられようか
大いなる 友情について
海の戦士の 責務について
友よ いっしょに唄おう!
(1)
Споемте, друзья,
Ведь завтра в поход
Уйдем в предрассветный туман.
Споем веселей,
Пусть нам подпоет
Седой боевой капитан

  ★Прощай, любимый город,
     Уходим завтра в море.
    И ранней порой         
     Мелькнет за кормой       
     Знакомый платок голубой.
  (★くりかえし)

(2)
А вечер опять хороший такой,
Что песен не петь нам нельзя;
О дружбе большой,        
О службе морской
Подтянем дружнее, друзья!  

    (★くりかえし)×2

Вечер на рейде(波止場の夕べ)
「波止場の夕べ」は、ゆったりとした哀調のあるメロディーで日本のロシア歌曲愛好者たちに人気を集めてきました。あまり、背景や内容が知られずに唄われていますが、独ソ戦の始まった1941年に生まれた戦争歌です。

作曲者のヴァシーリー・パブローヴィッチ・ソロヴィヨフ−セドイ(1907−1979)と作詞者の詩人アレクサンドル・ドミトリエヴィッチ・チュルキン(1903−1971)が秋からドイツ軍とフィンランド軍によって完全に包囲されながら、軍民が団結して徹底抗戦を継続していたレニングラード市(現サンクト・ペテルスブルグ市)の海軍部隊に取材して創作しました。レニングラード市は、アメリカの特派員記者だったハリソン・ソールズベリの名著『攻防900日』(早川書店刊、絶版)で描かれた約3年間にわたる包囲下で、300万人いた市民のうち100万人以上が餓死するという悲惨なたたかいが繰り広げられた街です。

 レニングラード攻防戦の中では、ソ連海軍バルト艦隊の将兵による勇敢な戦いが戦史の上で特筆されています。水兵たちの多くが地上戦闘に転用されたり、動けなくなった艦船(燃料不足や爆撃による損傷のため)は、高射砲や長距離砲を備えた砲台として包囲しているドイツ軍と戦いました。ドイツ空軍の圧倒的な制空権の下で、海軍の行動は著しく制約されたのですが、小型の魚雷艇や潜水艦は包囲をやぶってバルト海に出撃し、フィンランド海軍やドイツ海軍に果敢な攻撃を行いました。これらの戦いを通じて、ソ連海軍将兵はしばしば生還を期しがたい任務にも投入されたのです。

 「波止場の夕べ」は、レニングラード湾のクロンシュタット島にある海軍基地から出撃する潜水艦の乗員たちと、それを見送る家族や恋人たちの心情を歌い上げたものです。生還を期しがたい出撃に出る水兵たちは、「愛する街」(レニングラード)や「青いプラトークをまとった彼女」に、「また会おう」という含意の別れ言葉「ダスヴィダーニャ」ではなく、永遠の別れに近い「さよなら」を意味する「プラッシャイ!」と呼びかけています。

 この悲しい別れの情景で「陽気に歌おう」と明るく振舞う水兵たちのけなげさが、しんみりと胸にしみます。

 埋め込み映像は、ソ連陸軍アレクサンドロフ記念アンサンブルによる1982年の演奏で、ソリストはテノール=セルゲイ・イヴァノフ、バリトン=ピョートル・ボガチョフです。
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