小さなストーブの薪がはぜる
滲みだす松脂は 涙のよう
壕舎の中で アコーディオンが唄う
君の微笑み 瞳が目に浮かび
君のささやきが聞こえる
このモスクワ郊外の雪原で
君に聞いてもらえたなら
僕の寂しいつぶやきを
君に聞いてもらえたなら
僕の寂しいつぶやきを



君はいま 遠い彼方
僕らの間には 雪また雪
君に会うのは 容易じゃないが
死までは たったの四歩
唄えアコーディオン 吹雪に抗い
迷子になった幸せを 呼び戻せ
寒い壕舎の中でも 僕は暖かい
君への 不滅の愛ゆえに
寒い壕舎の中でも 僕は暖かい
君への 不滅の愛ゆえに
(1)
Бьётся в тесной печурке огонь,
На поленьях смола, как слеза.    
И поёт мне в землянке гармонь
Про улыбку твою и глаза.
Про тебя мне шептали кусты
В белоснежных полях под Москвой,
Я хочу, чтоб услышала ты,
Как тоскует мой голос живой.
Я хочу, чтоб услышала ты,
Как тоскует мой голос живой.


(2)
Ты сейчас далеко-далеко,
Между нами снега и снега.        
До тебя мне дойти нелегко,       
А до смерти - четыре шага.        
Пой, гармоника, вьюге назло,      
Заплутавшее счастье зови.        
Мне в холодной землянке тепло     
От твоей негасимой любви.        
Мне в холодной землянке тепло     
От твоей негасимой любви.        
В землянке(壕舎にて)
「壕舎にて」(В землянке)は、独ソ戦の一番苦しい時期である1941年11月に生み出されました。当時、ソ連の作家や詩人の多くは、軍部隊と共に前線に出向いていました。詩人のアレクセイ・アレクサンドロヴィッチ・スルコフ(1899〜1983)は、モスクワ防衛前線である西部方面軍司令部で同軍機関紙「アルメイスカヤ・プラウダ」の特派員記者として働いていました。
 彼は、ドイツ機甲部隊の激しい攻撃に晒される前線の塹壕陣地まで赴き、半地下式の壕舎で戦う兵士たちと生活を共にし、記事を書き続けていたのです。その中で、いつとも知れぬ死への恐怖をのりこえながら、妻にあてた詩を手帳に書き留めました。「僕らの間には、雪また雪 でも、死まではたったの4歩!」
 同じ頃、包囲下のレニングラード市を防衛するソ連海軍バルチック艦隊司令部で働いていた作曲家のコンスタンチン・ヤコブレヴィッチ・リストフ(1900〜1983)が一時的にモスクワを訪れた際、旧知のスルコフに軍事回線で電話を入れました。「何か曲をつけられる詩はないか?」というのが、リストフの問いかけでした。
 その時、スルコフが通信で送ったのが、前線の壕舎で作った妻に捧げる詩でした。この詩は、リストフの心をとらえ、数日のうちに譜面がまとめられ、1942年はじめには共産主義青年同盟機関紙「コムソモリスカヤ・プラウダ」に掲載されたのです。
 壕舎で粗末な簡易ストーブの火を見つめながら、切々と語られる妻への愛の言葉は、多くのソ連将兵の心をとらえ、1942〜43年にかけて前線で広く唄われました。特に市街地で激戦が長期にわたって繰り広げられたスターリングラードでは、参戦将兵たちが「忘れられない歌」と異口同音に述べています。
 この歌については、「女声合唱団チャイカ」のサイトでも詳細な解説がされています(http://sea.ap.teacup.com/applet/chaika/msgcate7/archive?b=20)。
 埋め込み映像は、1975年に製作されたフィルムコンサート映画「戦いの40年代」のうちの1つで、アレクセイ・クズネツォフによるリエナクト独唱。作詞者スルコフがそうであったような独ソ戦初期の従軍記者の雰囲気を出しています。

「壕舎にて」(В землянке)

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