覚えているよ あの夜を
肩にずり落ちた君のプラトーク
別れのつらさに
願いを込めた青いプラトーク
でも 今日は 祖国のために
愛する君に 別れを告げる
知っているよ 君が僕を想い
プラトークを枕に潜め泣くことを



手紙を受け取ったよ
故郷の懐かしい声が聞こえる
読み進める行の間から
浮かび上がる青いプラトーク
そして戦いの最中も
頭をよぎる君の姿
見つめあい 交し合った
愛の誓いよ



プラトークの重き誓いを
兵隊外套の胸に秘めて
優しい言葉と君の肩を
戦いの中で思い出す
君への思いと祖国のために
祈りと愛のために
僕の機関銃は吼え続ける
いとしい青いプラトークのために
(1)
Помню, как в памятный вечер   
 Падал платочек твой с плеч,     
Как провожала и обещала      
Синий платочек сберечь.       
И пусть со мной          
Нет сегодня любимой, родной,    
Знаю, с любовью ты к изголовью   
Прячешь платок голубой.       


(2)
Письма твои получая,        
Слышу я голос живой.       
И между строчек синий платочек   
Снова встает предо мной.       
И часто в бой         
Провожает меня облик твой,      
Чувствую, рядом с любящим взглядом 
Ты постоянно со мной.


(3)
Сколько заветных платочков 
Носим в шинелях с собой! 
Нежные речи, девичьи плечи 
Помним в страде боевой.
За них, родных,
Желанных, любимых таких,
Строчит пулеметчик за синий платочек,
Что был на плечах дорогих.
Синий платочек(青いプラトーク)
1939年、ポーランドがドイツとソ連に分割占領された後、反ユダヤ政策を押し立てたナチス・ドイツを嫌ってソ連側に難を逃れたユダヤ系ポーランド人、イェジ・ペテルブルスキが作曲したロマンチックな曲で、出征する青年と恋人(妻?)との別れを唄った「ロシア版リリー・マルレーン」とも言われる歌曲です。
 作曲者ペテルブルスキ(1895-1979)については、「女声合唱団チャイカ」サイト内の「ロシア音楽事情」のコーナーに数回に分けた詳しい記述がされています。
(http://sea.ap.teacup.com/applet/chaika/msgcate5/archive?b=5)

1939年にはポーランド空軍に勤務し、その後、1943年頃に自由ポーランド軍が編成されると彼は英国側のアンデルス将軍指揮下の部隊に参加したようです(ソ連軍指揮下のポーランド部隊もありました)。戦後は、ブラジル、アルゼンチンなどに移住し、タンゴなど引き続き音楽創作に取り組んだとされています。1979年に故国ポーランドの首都ワルシャワで没。

 数奇な運命の作曲家がつくった「青いプラトーク」は、独ソ開戦時に「1941年6月22日未明‥」というタイトルの開戦をテーマにした歌詞で唄われましたが、その後、ウクライナ人女性歌手クラウディヤ・シュリジェンコが唄う「青いプラトーク」として再リリースされると、国内はもとより前線部隊の間でも絶大な人気をかちとりました。女性兵士の回想などでも、「前線の地下壕の中などでよく唄った歌」と述べられています。

 以後、今日まで長く唄われ続けるロシアの人気ナンバーで、日本でも和訳されて唄われていますが、私の感じでは歌詞がだいぶオリジナルのイメージと異なっているように思えてなりません。3番の「僕の機関銃は吼え続ける」のくだりは前後を考えると、スペイン内乱の中でのアメリカ人義勇兵(ゲーリー・クーパー)の恋と死を描いたヘミングウェイ原作の映画「誰が為に鐘は鳴る」のラストシーンを思わせる美しいくだりだと思うのですが‥。

 埋め込み映像は、1942年の映画「戦場のコンサート」の中で唄うクラウディヤ・シュリジェンコのもの。

「青いプラトーク」(Синий платочек)

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